猛毒親は毒親の最上位

毒親日記

メインサイトはOn The Beach で、そこで毒親の私の母親の話を書いていましたけれど、どうも趣旨が違う気がするというか、メインのブログが汚される気がしたので、新たにこちらのブログを作りました。面倒だけど仕方がない……。

さて、世の中にはものすごい毒親さんたちがいっぱいいて、その子供さんたちは非常に生きずらい環境の中で暮らしていらっしゃると思います。でもそんな毒親の最上級である猛毒親こそが私の母なので、ここでは母の実話をずーっとつづっていきたいと思っています。

うちの母普通じゃないんです

物心ついた頃から自分の母親に対して嫌悪感が強くて、私は17歳で家を出て一人で生きてきました。15歳からの2年間はアルバイトをして学費を払い(親が払ってくれなかったからね)そのまま家を出て大人になったという感じです。

なぜそこまで強烈な違和感を感じたのかというと、もう3歳とかくらいから虐待が凄かったです。叩くとかじゃなくて殴るという感じ、しかも蹴ったり髪の毛を掴んで引きずり回すなんてこともしていました。

虐待の対象は私たちだけではなく、お父さんに対してのモラハラ、パワハラも酷かったですね。当然お父さんは49代後半に差し掛かる頃に出ていってしまいました。ただ母親は離婚を拒否しているので、40年くらい離婚してもらえない状態です。

それも年金の金額が下がるからというのが拒否の理由です。基本は自分なので、それで人がどうなろうと関係ないという感じです。

私が母をどうしても許せない理由

それはメインサイトでも説明しましたけど、私には兄がいたそうです。兄は母のお腹の中で7か月だったそうです。この時母は結婚していませんでした。当時付き合っていた男性は、戦後孤児になっていて、弟さんととても仲良く暮らしていたそうです。でも母は弟が邪魔だったらしく、男性に普通は結婚したら弟は追い出すもんだ!と言ったそうです。

兄弟で必死で生きてきたのに、その弟を大事にするどころか追い出そうとした母に対し、その男性は「お前とは結婚する気はない」と言ったそうで、それに腹を立てた母は医者が止めるのを押し切って、自然分娩してそのまま見殺しにしたそうです。

何を思ってそんなことをしたのかというと、「私にあんなことを言う男の子どもなんか産んでやるもんか!いらないからおろす!」という感じです。それを聞いた時からものすごい嫌悪感があって、近づきたくないし理解できないというのが本音です。それを子供に話す気持ちもわかりません。

逮捕して欲しいです。本当に逮捕して欲しい。なぜ私がここまで腹が立つのかというと、実は私は写真を撮ると心霊写真を写してしまうタイプで、ある日観光地に行って写真を撮ったところ、そこに40代くらいの男の人が母親と当時結婚していた私の旦那の間に写っていたんです。

その男性はオレンジ色の竜巻のような帯の中に立っていました。霊能者の方にそれを見てもらったところ、母に殺された兄が「忘れないで欲しい」と出てきたのだそうで、私が写真に写してしまう体質だということをその時に教えてもらいました。

それから毎日私は寝る時に、兄に話しかけて寝ています。忘れていないよ!ということ、私が食べているものは一緒に食べようね!という感じ。いつも思い出してあげれば悲しくないかもしれないから……。それが良い事かはわからないけど、やっています。

母はそんな私に「へぇ~」と一言。自分のためなら人の人生を破壊しても、殺しても許されると思っている母だから、猛毒親なんです。

暗い話ばっかりでしたけれど、ひどすぎて笑える話もたくさんあるので、毒親で悩んでいる方が「あるある!」「うちもそうだ!」なんてワイワイしてくれたら嬉しいです。

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