突然の義母の死と人の生き方

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いつものように夕食を食べてのんびりしていた時、突然電話が鳴りだした。相手は義母だったので元旦那は(娘の入所の件でお手伝いにきていた)「おかんや」と電話に出た。

いつもなら「なんや?」の後に会話が続くのだけど、その時は緊張した声で「はい、はい、え?」と話し、どんどん顔がこわばっていったので、義母が倒れて病院に搬送されたのだと察して支度を始めた。

すると話していた彼は私に電話を渡してぼーっとしている。何だろうと思って電話に出ると、救急病院からの担当医の衝撃的な言葉が流れてきた。

それは

○○さんが心肺停止の状態で運ばれてきて、現在も心肺蘇生を続けています。しかし意識が戻らずこれ以上の蘇生を続けても、身体を傷つけるだけなのでどこかでストップしなければなりません。

といった内容だった。頭の中で「最初から希望はなかったのか」という言葉と、「どこかで止めなければならないけど、遺族の許可がないと止められないのだ」と冷静な言葉がぐるぐるしていたのを覚えています。

そこで「私の判断でストップしてくれとは言えないので、先生のご判断にお任せします」と伝えました。すると医師は「ありがとうございます」と告げ、それから5分ほどして再度電話がかかってきて、9時47分に死亡を確認しました。と告げられました。

私たちはとるものもとりあえず急いで香川県に向かいました。車中で元旦那は目がらんらんとしていて、普段は相槌する程度なのに道中ずっとしゃべり続けるという感じでした。もちろん私が運転して病院へ向かっていったのです。

ご遺体と対面したあとはいたって事務的に事が進みます。遺体を引き取らなければならないこと、でも私たちは高知県で暮らしているので香川県の葬儀屋はわかりません。ネットで調べてお願いしなければなりませんでした。

義母の友人や会社への連絡をする

義母は仕事をしていました。70を過ぎても自立して仕事をして暮らしていたのです。うちのババアとは大違い……。その日も仕事のシフトが入っていたので、会社に連絡しようとしましたが間違って友人の方に電話が繋がってしまいました。

その友人の方も非常に驚いていたのですが、葬儀屋を探していると言った私に葬儀屋を紹介していただき、その後で会社にも連絡して葬儀屋にも連絡しました。1時間近くかかって葬儀屋さんが到着して義母の遺体を搬送して保管していただきました。

翌日高知県に戻ってきた私は前日の朝から寝ずに、義母の友人へ連絡を入れ続けていました。火葬する日は翌々日であることや、葬儀屋の場所などを連絡して一息つけるかと思いきや、興奮状態だったため全く眠れず仕舞い。

義父とおめかけ?さんの奇怪な行動に辟易

義父は義母と離れて暮らしていました。離婚はしていなかったので夫婦であることは間違いありません。しかし義母は香川で仕事をしていたため、家に戻るのは年1回あるかないかです。その間に義父の周りには変な女がへばりついていました

その女がとにかくしゃしゃり出ては息子たちにどやされていたわけです。義父がガンを患って手術する日、やってきた義母に向かって「この人は私がちゃんとに世話してますから!ずっと私が世話してきましたから!」と宣戦布告のようなことを言い放ったわけです。

私もその場にいて「なんだこいつ?」と腹が立ちましたが、義母は「そうですか、よろしく」とだけ言い、毅然とした態度で堂々としたものです。夫婦にはそれぞれ理由があって今の暮らしをしているのだと改めて義母の心の大きさを実感したものでした。

でも私はその女が嫌いで話すのも嫌だったのです。義母が亡くなった翌日に義父に呼ばれて家に向かったところ、その女がつかつかとやってきます。私は義母が亡くなったことをこの女には知られたくありませんでした

でもその女はまっすぐ私のところにやってきて「○○さん亡くなったって聞いてビックリしたよ」とのたまった!その頃私は散々号泣していたので目は腫れぼったくて、まる2日間寝ていなかったためギンギンの状態。

つい目つきが悪くなってしまい、それを見た義父が「すっこんでろ」とばかりに女を追い払います。それでも「私が仕切らないでどうする?」と言わんばかりに義父に食いつくその女に、心底「こいつマジか?」と思ってしまいました

女が去ったあと義父の友達?の女が3人でやってきて、義母のために呪文?南妙法蓮華経をご遺体の前でとなえて欲しいと言います。そいつら曰く、それ以外は故人は地獄に落ちるから絶対にお坊さんとか戒名とかはやってはダメ!などとほざいているわけです。

私は本当に疲れてしまいました。その後1時間近くもお経の唱え方を教わり、あほらしい話を聞いてぐったりしてしまいます。そして火葬をするために香川に向かう当日、なんと元旦那の車のエンジンがかかりません。その経本はその車の中にありました。

結局私の車で向かうこととなり、経本のことなんてすっかり頭から抜け落ちてしまっています。なんでもそのお経を唱えれば亡くなった方が必ず成仏してご遺体が若返るのだそうです。信じていない私たちにとっては本当にムカつく話でした。

香川の葬儀屋で義母の偉大さを改めて実感

香川の葬儀屋で待っていると、どんどん義母の友人や会社の方々がお見えになり、それぞれが別れを惜しんでいました。皆さん「ねえさん、ねえさん」と言いながら号泣されていました。私は長男に変わってご挨拶もしなくてはならなかったため、泣くまいと必死に我慢していました。

でも皆さんが本当に悲しんでいらっしゃるのを見て、我慢できずに私も号泣してしまいました。その時に思ったのは義母は本当に頑張って生きた人だったんだなという事と、人は生き方でこれほど惜しんでもらえるものなのだなという事でした。

個人的にこれまで経験したどのお葬儀よりも感動があり、人の人生について考えさせられたお葬儀です。それは他の方や身内も同じだったようで、本当に別れを惜しんでくれる姿に故人の偉大さや人間性を感じ取れるものでした

さて、ここからです。義母は遺産をちゃんと残してくれていました。自分の葬儀や自分の後始末のお金に子供たちが困らないように……かどうかはわからないけど、ちゃんとに貯めていたのです。

それを見てもちゃんとした人だったなぁと感心し、私も義母のように死んで悲しんでもらえる人になりたいと思ったものです。人って死んだ時に初めて自分がどんな生き方をしたかがわかるのだなと改めて思った出来事でした。

実は私、実母は大嫌いですが義母は非常に好きでした。老後は文句を言いながらも私がお世話する日を楽しみにしていたのに、神様は愛する人・惜しまれる人をお迎えになり、どうでもいいようなクズ人間は長生きさせるのだな……。とちょっとだけ恨みました。

今日までにはもっと色々な事件が起こったのですけど、それはまた次の日記に書き記そう……。お義母さんのご冥福を心からお祈りします。同じ墓に入るから少し待っててね、あの時何があったのか詳しく教えて欲しいです。大好きだった私の本当のお母さん、それまで好きな事しててください。

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