叔母の今度の試練はC型肝炎の治療!新薬「マヴィレット」について

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こちらでお話したことがあったかどうかは定かではありませんが(自分のブログなのにだ!)、叔母はいくつか病気を抱えている方です。

今回は叔母(と言っても元旦那の)の病気と治療、そして今後の治療についての物語(大げさだけど)をご紹介するとともに、同じ病気で悩んでいる方の励みになると幸いです。

叔母の抱えている病気はおどろくほど多い!

まずは簡単に叔母の病気についての説明をいたします。よく病気をすると次々と重なって病気を発症するという事を聞きますが、まさしく叔母がそんな感じでした。

叔母は15歳の時に腎臓の病気を発症しました。当時は今のような治療が無かったので薬で何とかしようとしていたようです。ですが良い治療薬もなかった時代ですから、当然叔母の状態は悪くなる一方でした。

繰り返し入退院をしていた叔母は、高校進学は諦めて就職をして働きながら治療をしていたようでした。叔母と話すと昔の高知県の話が聞けてとても楽しいです。

入退院を繰り返して15年ほど経過した頃には叔母は慢性腎不全になっていました。これは現在では人工透析を行わないと命を落としてしまうレベルです。

でも叔母の話だと当時は人工透析をしたら死ぬと言われていたそうで、二度と会う事ができない今生の別れのような治療だったそうです。

その時の診断ではあと数か月しか持たないという事でした。どうせ死ぬんなら受けてみようとあっけらかんと思った叔母は、30歳から人工透析治療を開始しました。

入院した叔母はむくみたいだけむくみ、肌は黒ずんでいかにもゾンビ的な見た目だったようですが、記念すべき一回目の透析でけろっと治ってしまったそうです。

もちろん慢性腎不全ですからもうすでに腎臓は機能していませんでした。人工透析は機械の腎臓が悪いものをろ過してくれる治療だったのですね。

その後叔母は元気を取り戻し精力的に働いたそうです。ところがその時期に元旦那の母、つまり私にとっては義母にあたった人に、子育てを押し付けられたそうです。

もちろん養育費はもらっていたようですが、男の子3人を育てながら1日おきの人工透析はつらかったでしょう。これが叔母の一度目の試練と治療そして二度目の試練です。

香川にいた妹が難病を発症して高知に戻ってきたが……

叔母の家も複雑な家でした。姉妹3人だったのですが叔母が子供のころから病弱だったため、下の二人は愛情をあまり感じていなかったのかもしれません。

義母は一番下の妹とつるんで叔母を無視し続けていたそうです。叔母はそれも仕方ないと思っていたようですが、下の妹は一度も口をきいたことが無かったと言うから壮絶でしたね。

そんな妹が病気になり、その病気が難病だとわかると義母はすぐに高知県の方が良い病院があるからと、末の妹を家から追い出してしまったのです。

何か事情があったのかもしれない。でも追い出された叔母はショックだったでしょう。そしてあろうことか一度も口をきいた事がない長女に世話を任せたのです。

私も何度かあった事がありました。とても美しい方できさくにお話をしてくれる叔母でした。同じうつ病を発症していた事もあって、話がとても合ったものです。

そんな叔母の病名は進行性リウマチ。若い叔母は進行が早くどんどん身体が動かなくなっていきます。最終的には呼吸が困難になってしまうと聞きました。難儀な病気です。

当然何度か危険な状態になりました。あれは忘れもしない3年前の年末の事でした。義理の弟から電話が来て「おばちゃんが亡くなった」という言葉に、まだ54歳なのに……とショックを受けてしまいました。

葬儀が終わったころ、叔母が手続きをしたいけれど目が見えないから手伝って!と言われ、私は叔母のお手伝いにいきました。その時の手続きがいろいろと面倒だった事を覚えています。

だからそれを叔母に言いました。「おばちゃんに何かあったらこれまた大変だねぇ」叔母も「それが心配よね」と言っていました。今ではいざとなったら私が手続きするから良いけど……。

叔母の様子がおかしくなったのはそれから2か月後でした

ある日叔母から電話がきました。めずらしいなと思って出てみると、歩いていて転んでしまってから何かおかしいと言うではありませんか。

透析の病院で相談したところ、叔母は検査で入院する事になったわけです。この時叔母は認知症の祖母と一緒に暮らしていました。困るのは祖母の方だったのです。

そこで叔母はケアマネさんに連絡を入れて祖母が暮らせる場所を探して欲しいとなったわけです。そこで駆り出されたのが私でした。手続きの書類を見て書いて提出しました。

施設を見に行く事もありましたが、比較的見つけるのは早くて恵まれていたかもしれませんね。

それからが問題です!叔母は検査入院のはずだったのに、入院するころには自力で歩くことが難しくなっていました。

さらに入院から翌日には手にマヒが起きて箸ももてない状態になってしまったのです。大学病院で調べてもらうと脊髄に狭窄があるという事で転院。

転院手続きを私がして、入院一日目は良かったけど、翌日から叔母は高熱を発症して意識朦朧の状態でした。

後から聞いたら何も覚えていなかったそうです。あれほどちゃんとに話したのに……。

あらためて紹介する叔母の病気にプチショック!

まずは慢性腎不全がありますね。これが透析をしなくてはならなく透析をやめたら死んでしまうでしょう。

さらに白内障、これは手術を一度しましたが人工透析のおかげでこれも現在では再発して目があまり見えません。

次にステントという治療を受けたのですが、これは太い血管の内側にいれて血管の確保をするために行うようです。

実はそのステントが原因で叔母は7万人に一人の「好酸球増加症」を発症してしまい、それがどうやら高熱を引き起こしていたようです。

そこからはひたすら好酸球との闘いです。細かいことは端折りますが、治療のかいあって一命をとりとめたのです。

実際には4回ほど危機があって、そのたびに家族に連絡はしたものの「よろしくね~」という事だった。すげぇ家族です。

好酸球の治療が終わったら今度はかかと!入院中に気づいたのは私でした。叔母の右側のかかとだったかな?何となく1cmくらいの円形の傷ができていたんです。

これ床ずれじゃない?と思ったので叔母に「かかと痛くね?」と聞くと、「わからん、かかとら辺は足がしびれちゅうきなんも感じない」という。

これはおかしいと思い看護師さんに相談、消毒して終わりの治療に疑問を感じましたが案の定、その大きさは5倍にもなり壊死して骨が見えている状態になりました。

当然手術しなくてはなりません。私は叔母の手術に手術室内で立会い縫合までを見ていたというか見させられた感じがありましたね。

今度は手足のしびれが半端なく、スプーンどころじゃなくて手を握る事すらできなくなりました。当然足も麻痺して自力での歩行は皆無です。

今年は落ち着くかと思いきや、心臓と肝臓のダブルパンチ

まずは今年の初めから言われていた、心臓弁の問題なのですが、透析をしていると血管中に石灰がたまっていきます。これは避けて通れないものです。

叔母の手もぼこぼこです。石灰がたまると臓器本来の働きを妨げます。叔母の場合は心臓の弁膜症でした。手術を必要となりましたが、今年いっぱいは様子見だそうです。

あ、昨年は夏ごろに大腸ポリープが22個もあって、その切除の手術も受けました。あさから10時間も病院に缶詰め状態でこたえましたねぇ……。

それから今年の心臓、そして今回はC型肝炎の治療です。3週にわたって検査を行い適性があるとの事だったので「マヴィレット」という薬を処方していただきました。

その薬は8週間飲み続けなくてはならないもので、一粒が5万円もするお薬だと聞いてびっくりしました。

8週間毎日飲まないといけない薬が一粒5万円だなんて!それを一日3個飲みます。1週間だけでシャネルのバッグが購入できる額です。

さらに8週飲み続ければちょっとした新車が買える金額です。

薬局で薬を処方してもらう時にはドキドキしました。それをホームの看護師さんに伝えると「手が震える~」とおっしゃっていました。

そらそうだろう……。私も震えたもの……。

という事で今日の夜から飲み始めるので、無事に8週間飲み続けて欲しいものですね。

簡単に言えば昨年の年末に販売された新薬です。一日決まった時間に3粒飲み続けます。患者の状態によっては8週間と12週間とあるようです。

叔母は幸いにも8週間で済むようでした。完治できる確率は90%後半ですが、数名だけ死亡例があるようです。因果関係についてはまだわかっていません。

そして経過観察のために毎週先生のところへ行かなくてはなりません。ウイルスが減っても最初は1か月に1度、3週間に1度、1か月に1度、半年に1度という感じで検査を請けに行きます。

もちろんそれすべて私の役目です。つらいけれど叔母は小さい頃から苦労してきたし、ここらで少し報われても文句は言われないだろう。

という事で、今回の記事は終わりです。

最後までご覧いただいた方には心の底から感謝いたします。マヴィレットについてはまた機会を見つけてご紹介していきますね。

それではおやすみなさい!

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